尾崎豊の着メロが気に入らん!

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新しい携帯は、動画も撮れるわ、テレビ電話もできるわ、で最高なのだが、着メロにだけは異議を申し立てたい。 私はメールの着信メロディーに尾崎豊の「群衆の中の猫」を使っている。前の携帯では「♪何を求めて人は彷徨うのだろうか」という部分のメロディーで、「俺は何を求めて日々生きているのだろうか?」という思いを強くさせてくれていたのだが、新しい携帯では「♪優しく肩を抱き寄せよう」の部分に変わってるじゃないか! というか、尾崎の着メロを他にもダウンロードしてみたが、この着メロを作った人間は、おそらく尾崎のことを馬鹿にしている。適当に作っているとしか思えん。主旋律自体が、なんだかヘロヘロなのだ。 かと思えば、アニメソングは妙に気合が入っている。家庭教師先からの電話にはアニメの「一休さん」(教えるのに知恵を使うからね)、ツレからの電話には「キャプテンハーロック」(「友よ~」ということで)、嫌な人からの電話には「俺はジャイアン様だ!」(設定してる人、ごめんね)が鳴るようにしているが、どれもこれも音楽的に凝りに凝っていやがる。 尾崎よりアニソンに力入れやがって!お前ら尾崎を馬鹿にしてんのか~~~!!! 着メロ関係者の方は、この記事を見たら、尾崎豊にも力を入れてくださいね(笑)。

 

私の原点は尾崎豊

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高校時代、青年塾で「志の人」として発表したK君から田んぼのあぜ道で尾崎豊のCDを借りて以来、私の心のど真ん中には、尾崎豊が居座り続けている。無論、他の人達の影響も受けてはいるが、物事の考え方・感じ方、生き方の原点は尾崎だ。 尾崎豊は純粋だった。だから、大人や社会とぶつかる。だから、汚い欲望には敏感だった、と思う。 尾崎豊の求めたもの。それは、自由と真実と、そして愛、かなと、今は考えている。そして、そうした真理を得るために勇気を持って一歩を踏み出し、得た真理に従ってまた一歩を踏み出す。 「それは本当に自由か?」「それは真実に基づいているのか?」「それには愛があるか?」というような自問自答を繰り返しながら生きると、この社会ではまったく生き辛い(笑)。汚い奴を許せず、衝突が絶えない。それが尾崎信者のデメリットですね(笑)。 知恵を使ったりして衝突しないに越したことはないけれど、でも、衝突なしには解決できないこともある。傷つくことを恐れていたら、権力者や金持ちや、力の強い奴の言いなりになってしまう。立ち向かう人間が一人でもいないと、この世の中の大切なものは守れない。 尾崎のことを語りだすと長いので、言いたいことはたくさんありますが、次回に。 最後に、私の座右の銘としている尾崎豊の言葉を。

 

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時には、過ちを犯してしまうことも、きっとあるだろう。 だけど、過ちにさえ、自分のこの身体でぶつかって、 ひとつひとつの物事を、自分で解き明かしていかなければ、 新しい第一歩は踏み出せないような気がするんだ。 そのために傷つくことも多いかもしれない。 そのために命を落としてしまうかもしれない。 ただ、俺は新しい第一歩のためにこの命を賭ける。 それが俺の生き方だ。 笑いたい奴は笑え。 俺を信じる奴はついてこい。

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PS. K君、笑わないでね(笑)。