ディベート「A級戦犯は分祀すべきである。是か否か」で・・・

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今朝の読売テレビの「ウェークアップ!」で元内閣総理大臣官房・内閣安全保障室長の佐々淳行氏が、小泉首相靖国参拝について「賛成」の札を挙げながら、いわゆる「A級戦犯」は分祀すべきだと言っていました。

靖国そもそも戦死した英霊が祀られる神社であり、東京裁判で刑死した人は別の神社を建てるべきだとし、また東条英機の『生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず、死して罪禍(ざいか)の汚名を残すこと勿(なか)れ』等の戦陣訓によって、ジュネーブ条約で捕虜として守られるべき人達も自決させながら、自らは短銃による自殺未遂はしたが生き残ったことを理由に、東条英機靖国神社に祀られるべきではないとしていました(戦勝国連合は国際法を無視し、シベリア抑留の過酷な強制労働で40万人の死者を出し、東京裁判で無実の人間約1000名を死に至らしめました。が、確かにそういう考え方もあるでしょう。東条英機自身は靖国に祀られることを望んだか否か・・・)。

これを聴いて思い出したのが、青年塾の「出発式」(青年塾では卒業後が大事だということで、卒業式のことを「出発式」と呼びます)で行われたディベートの決勝戦のお題「A級戦犯分祀すべきである。是か否か」(ディベートというのは議論の練習のためのゲームです)。残念ながら私たちのチームは決勝戦には進めなかったのですが、もし進んでいたら、トーナメント表で行くと是側で論じることになっていました。

私は「合祀すべき」との考えですが、ディベートでは「分祀すべき」との立場で論じなければならなかったので、かなり苦しいものがありました。

論を立てるにあたり、「合祀はアジア諸国から反発を買っている。日中・日韓関係が悪化する」とすると、自分の信条にもそぐわず、パール判事記念館や知覧の特攻平和記念館に研修に行ったり、「坂の上の雲」を課題図書として1年間通読してきた塾生も審査員であるので、おそらくディベートには勝てないと思い、佐々淳行氏が今朝テレビで言ったのと同じような主旨で以下の論を作りました。結局はこれは使わなかったのですが、成仏させるつもりでブログに載せる次第であります(笑)。

1.前提

まず申し上げたいのは、我々は前提として、東京裁判におけるパール判事の判決、すなわち「被告全員無罪」という判決を支持する立場であるということです。よって、このディベートにおいて混乱を避けるために、「A級戦犯」とは呼びますが、これはいわゆるところの呼称であって、真に彼らを「A級戦犯」とは、一切考えておりません。

2.時代による靖国神社に祭られる基準の変化

さて、靖国神社の成り立ちについてみてみますと、靖国神社は、明治2年に明治天皇によって、戊辰戦争で斃れた(たおれた)人達を祀るために創建されました。
その靖国に祀られた英霊を大まかに分類すると、次の3つになります。
(1)明治維新期に国事に奔走して倒れた官側の志士ら、
(2)明治維新後から太平洋戦争(大東亜戦争)中までは、『戦事や事変において』戦死、戦病死、戦傷死、ないしは公務殉職した軍人・軍属・またはこれに準ずる人、
(3)大東亜戦争(太平洋戦争)後は、「戦傷病者戦没者遺族等援護法」と「恩給法」のいずれかに該当する人、
となります。

いわゆる「A級戦犯」は前述のうちの(3)であり、昭和28年の法改正によって、同法の対象となったため、靖国神社に合祀されることになりました。

3.靖国神社本来の主旨

しかし(3)のケースは、靖国を管轄していた陸海軍省が廃止されたための、いわば緊急処置的な措置であって、本来の靖国の主旨、あるいは日本人の伝統的な精神性に照らせば、非常にずさんな措置でありました。

本来、靖国に祀られるべき人々というのは(1)(2)のケースの人々であります。簡単に言えば、戦場で斃れた人たち、あるいはそれに準じる人たちを祀るのが、靖国神社なのです。「靖国で会おう」という有名な合言葉がありますが、そう言って本当に帰らぬ人となった戦士達・英霊達の場なのです。

ところが、合祀されている、いわゆる「A級戦犯」の人たちは、戦場ではなく、裁判の判決を受けて処刑されたのであり、(2)のケースとは違うので、靖国に祀るべきではないのです。彼らの死は戦死ではなく「法務死」とされ、靖国神社においても「昭和殉難者」と他とは別の名称で呼ばれています。

4.靖国神社に祀られない軍人もいる

では彼らをどうすべきなのか。皆さん、ご存じないかもしれませんが、有名な軍人でも、靖国に祀られていない人はいるのです。例えば、乃木希典と、東郷平八郎靖国に祀られていません。それぞれ、乃木神社東郷神社という別の神社が建立されて祀られています。彼らは戦場で死んでいないからです。

5.別の神社を建てて祀るべき

いわゆる「A級戦犯」の方々は、東京裁判という国際法を無視した集団リンチのような裁判で殺された悲劇の犠牲者であります。しかし、靖国神社本来の主旨には合わない方々であり、別に神社を建立し、そこに祀られるべきなのです。分祀することが、むしろ日本人古来の精神性にかなうものなのです。

東京裁判も彼らにとっては戦争であり戦場であった。実質彼らは戦死である」と否側の皆さんはおっしゃられるかもしれない。しかしそういう意味なら、今でも戦争は続いているのです。北方領土はロシアに、竹島は勧告に占領されたまま。東京裁判で無実の罪をきせられたように、今も南京大虐殺従軍慰安婦というありもしなかったもののために国は謝罪させられ、アジア女性基金というものがつくられそこから賠償金を支払い、誤った歴史認識が外交のカードにされ、北朝鮮による拉致被害も辻元清美社民党の議員に戦後補償を引き合いに出されてウヤムヤにされるような動きがあった。そういう意味では、まだ「戦争」は終わっていないと言えますが、それでは果てしなく「戦争」を引きずってしまいます。日本が降伏し、戦闘が終わった時点で戦争は終わったと考えるべきではないでしょうか。

よって我々はA級戦犯分祀すべきであると考えます。以上で是側の立論を終わります。


まあ、そもそも分祀するということが、神道においては無理なわけですが。日本が初めて体験した敗戦と国際法違反の東京裁判という事情を鑑みれば、法務死昭和殉難者の方々も、靖国神社に祀るべきだと私は考えます。