とりあえず、ホッ!皇室典範改正案の提出が見送りに

image/kitaoka-2006-02-10T23:33:59-1.jpg
紀子さまがご懐妊されたことで、皇室典範改正案の今国会での提出が断念された。

産経新聞皇室典範 首相、改正案を断念 慎重論強く混乱回避」
http://www.sankei.co.jp/news/morning/10iti001.htm

小泉純一郎首相は九日、女性・女系天皇を容認する皇室典範改正案の今国会提出を断念した。複数の政府筋が明らかにした。秋篠宮紀子さまのご懐妊により、政府・与党内に慎重論がいっそう強まったことを受け、国政の混乱を回避するためにも提出は困難だと判断したものとみられる。これによって、小泉政権下での改正の動きは“凍結”されることになった。(後略)★


私は、以前にも書いたとおり、女系天皇を認める皇室典範の改正には反対である。最初から女系を認めるものであったなら別だが、2600年以上もの永きに渡って天皇は男系のみであったという伝統がある。その伝統を守ることが、将来の日本において無用な争いを生じさせないことになると思うからだ。今回の紀子さまのご懐妊は偶然なのかご努力の結果なのか分からないが、偶然ならば神に感謝し、ご努力の結果なのであれば、秋篠宮殿下と紀子様に感謝を申し上げたい。

もうすぐイタリアのトリノでオリンピックが開催される。聖火もイタリア入りしたが、オリンピック発祥の地であるギリシアアテネで採火された聖火が、もし途中ですり替えられていたとしたら、どうだろう。聖火リレーの走者がいくら汗を流して懸命に走ったとしても、人々は失望するのではないか。聖火がすり替わっても、あるいは聖火などなくても、「オリンピック」として競技を行うのに支障はないかもしれない。しかし、オリンピックの競技場のてっぺんに灯るのが偽の聖火だと認識しながら競技を行う選手達や観戦する観客達の心には、何か虚しさが湧き上がるのではないか。

「聖火など単なる火だ。意味などない」と言ってしまえばそれまでだが、何か聖なるもの、高貴なもの、崇高なものやその象徴を作り出して、そこに意味を込めることで、愛や和や誇りといった「素敵な思い込み」を共有し、それに基づいて「素敵な行動」ができるようになるのは、人間が集団で生きていくうえではとても大切なことではないかと思う。

天皇家の存在によって、明確にどんな「素敵な思い込み」を日本人全体で共有できるのか、どんな「素敵な行動」ができるようになるのかを言うのは難しいけれど、天皇家が「男系」という一つのルールで世界で唯一二千年以上も繋がってきたことに、歴史の深さと重みを感じるし、多くの日本人が日本人としての誇りを抱くことができると思う。もしこれを永遠に失くしてしまえば、日本人同士のつながりは少し希薄になり、「個」として漂流し始めてしまうような気がする。

私は昨年度1年間、青年塾というところでその関西クラス8期生として学んだが、関西クラスの9期生は、先月愛媛県松山市での研修で行われたディベート大会で、現役の中では一位となり、来月箱根で行われる出発式(青年塾の卒業式)では、OBドリームチームとディベートで対決することになった。

そのディベートのテーマが「皇室典範を改正し、女系天皇を認めるか否か?」とのことである。私も改めて是側否側両面で考えてみたいと思う。

9ヶ月後、秋篠宮殿下ご夫妻に男女どちらのお子様が生まれるか分からないが、それまでの間、日本人全体で、女系天皇とは何かを理解したうえで、「ディベート」とまではいかないまでも、女系天皇を認めるべきか否か大いに議論をして、小泉首相が言うように「全会一致」でどちらかに決められるような状況になればよいのだが。