夢を教師に潰された彼女のこと

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昨年、高槻市にある大阪府立槻の木高校の前を通った。槻の木高は、少子化で生徒数が減少したために、府立高槻南高校と府立島上高校を統合して新設された高等学校だ。その正門の向こうには、高槻南高校のモニュメントのようなものが見えたが、部外者は校内に入れないので、詳しく読むことはできなかった。

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高槻南高校と聞くと、小学校5・6年生のときに同じクラスだった女の子のことを思い出す。少し変わった子で、いや、素晴らしい個性の持ち主で(笑)、KBSラジオの深夜放送「ハイヤング京都水曜日」(略して「ハイ水」・DJは「つボイノリオ」)が大好きだった。その子の影響で、私もこの「ハイ水」にはまり、つボイノリオの「名古屋はええよ!やっとかめ」が初めて買ったレコードになってしまった(中3のとき、「ハイ水」が終わってしまったのは悲しかった)。

小学校当時、私はチョコレートが苦手だったのだが、そんな私に彼女は、「好きです!明治チョコレート」(当時そんなCMがテレビで流れていた)と言いながら、バレンタインチョコの代わりにアイスクリームの形をしたボールペンをくれたこともあった。(今思えば小学校の頃は楽しかったなあ。担任の先生も大好きだったし)

楽しかった小学校生活を終え、彼女も私も高槻市立阿武野小学校から阿武野中学校へ。中3になって彼女が目指したのが、高槻南高校だった。

ところが当時、私達の中学校の校区内に、大阪府立阿武野高校が新設されたばかりで、特に「地元集中」が積極的に行われた。1年上の先輩は、阿武野高校の1期生として同じ中学校の先輩達は、阿武野高校に「地元集中」で大量に入学していった(させられていった)。私が高校1年生になって、ラグビー部の練習試合で阿武野高校を訪れたとき、校庭にいる生徒のほとんどが見たことのある顔だった(笑)。

彼女も、この「高槻方式」と呼ばれる「地元集中」の犠牲になり、「高槻南高校に入りたい」という夢を、教師に潰された。

「地元集中」を知らない人もいると思う。フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』によれば、次のとおり。

■地元集中

地元集中(じもとしゅうちゅう)とは、公立中学校において、地域の中学生が公立高校を受験する際に、地元にある特定の高校一校のみを選択するように進路指導することを意味する。地元集中は、大阪府高槻市枚方市守口市門真市寝屋川市、交野市、松原市大阪狭山市、や和歌山県などの一部の地域で実施されていた。地元集中は、公立中学校教員により、制度に基づかず展開される運動であり、教育委員会の審議を経て正式に制度化されたものではないため、教育行政のあり方として疑問がある。


■地元集中と学区

地元集中は、「地域の子どもを地域で育て、高校間の学力格差を解消する」ことを目的とした一種の運動であり、正式な制度ではない。大阪府和歌山県の公立高校の普通科では、中規模な学区制を採用しているため、制度上は誰でも学区内の学力に応じた高校に進学することができる。

しかし、地元集中が展開されていた地域では、特定の地元公立高校一校のみを目指す進路指導が徹底して行われていたため、学区内にある他の高校への進学、および学区内の他の地域から地元集中高校への進学は非常に困難になっていた。


もっとも、地元集中自体は、受験生が「自分の行きたい高校に進学する」という当たり前の行動を許さない運動(中学校によっては、学区が設定されていない公立高校の専門学科や、私立高校への進学すら許さない)なので、個人の自由が尊重されていない問題運動だと指摘されている。



子ども達の自由と人権を侵害する「地元集中」運動は、どう考えても、憲法違反だ。教師達が、社会主義共産主義的な思想のエゴを満たすために、何人という子ども達が犠牲になったことか。

高校受験前、「進学校に行きたい」と思っていた生徒達は、地元集中を教師に押し付けられないか、それこそ戦々恐々とした不安な気持ちになっていた。校長室に呼び出され、阿武野高校に行くように説得された生徒が何人もいたと聞いた。幸い、私の担任はそのようなことを押し付ける人でなかったので助った。自分の担任が「地元集中」を勧める教師か否かによって、その後の運命を左右された生徒も多かったかもしれない。

「人権」って言葉を、やたらと聞かされたが、一体誰のための言葉なんだと思う。辞書には「人間が人間として固有する権利」と書いてあるが、学校では、特定の人達の「人権」しか教えられなかったような気がする。そして「地元集中」によって、子どもには人権なんてないんだと言わんばかりの扱いを私達の世代は受けた。私は以前「人権○○」と名乗る人間から人権侵害を受けたこともある。高槻では「人権」というのは、なんだか「特定の人達の権力」のように勘違いされているのではないか。

「地元集中」をはじめとする変な教育を推し進めてきたために、高槻から子ども達が消えていっているのは以前書いたとおり。そしてまた、「2学期制」ってやつを、怪しげなキレイゴトを並べながら実施しようとしている。高槻の教師達は、もしかすると、変な教育を実施することで、子どもを高槻から追い出し、自分達の仕事を楽にしようとしているのか?それが真の狙いだったりして(笑)。

彼女は現在、高槻を離れ、滋賀に嫁に行って幸せに暮らしているそうだけれど・・・もし高槻南高校に行っていたら、なんてことを考えることが今でもあるんだろうか。

私は以前から、高槻市独自の小中高一貫校を設立し、経済的に私立校へ行く余裕のない家庭の子ども達に門戸を開き、更なる学力向上の機会を与えよ、と主張しているが、もしこの夢がかなったら、この学校の名前は、「高槻南」にして欲しいと思っている。