介護殺人に思う---こんな老人ホームはどうだろうか?

京都で、介護の疲れと生活苦から、54歳の息子が86歳の認知症の母親を合意のうえで殺害し、自らも自殺を図った事件がありました。その息子に対して、京都地裁執行猶予付きの判決を下しました(私としては、認知症のある人との合意の成立を、どのように裁判官は判断したのかというところが少し引っかかりますが)。裁判官は時折涙を流しながら、この切ない事件に対する判決文を読み上げたそうです。

私は老人ホームで働いていますが、施設でスケールメリットを活かして比較的効率良くやっていても「介護というのは大変だ」と日々感じています。家庭で介護をされている方の苦労は、相当なものだと思います。

しかもこの事件のように、認知症の方が昼夜逆転の生活をしていたら、介護者は夜もおちおち眠れません。私の勤務している老人ホームでも、夜中に奇声を上げたり、館内を徘徊するなどの例がありました。そういう人がいるときは、夜勤の職員は大変です。認知症の方は、我々の意表を突くことをされることが多々あり、目が離せません。朝、居室を訪ねたら、部屋がウンコ・小便まみれになっていることも時々あります。そういう場面に遭遇したときは、火事の現場に突入する消防士のように、「えいやっ!」と意を決して飛び込んでいって、お部屋を掃除するわけですが(笑)、もしそんなことを自分の家でされたとしたら、たまったものではありません。程度によって違いはあるでしょうが、認知症の方を家庭で介護するというのは、本当に大変だと思います。

我々は介護をして給料をもらえますが、家庭で介護をする家族には給料は出ません。「同じ介護をしているのに、仕事でしている人間には介護保険制度で介護報酬が与えられるのに、家族が介護しても1円ももらえない。不公平ではないか」と訴える意見を以前新聞の投稿欄で見たことがありますが、それが今の制度の矛盾であり、限界なのでしょう。

私は機会があるごとに「こういう老人ホームをつくればどうでしょう?」と、議員の人や福祉の関係の人に提案しています。

それは、家庭での介護の負担が非常に重くなってきたら、介護されている高齢者を低額(月額15万円以下)で入居させるだけでなく、さらに、介護をしていた家族を職員として優先的に採用する老人ホームです。

そんな老人ホームが地域にあって、家族を丸ごと受け入れてくれれば、家族は、介護の負担が軽減されるうえに、介護を仕事とすることで給料がもらえることになります。介護の仕事は賃金が安いですが、無給だった家庭での介護よりはましでしょう。京都の事件では、介護と両立できる職が見つからなかったことが殺人の原因の一つでしたが、家庭でやっていたことを仕事としてそのまま続けられる環境があれば、こうした悲惨な事件も多少は防げるはずです。老人ホームの居室に、家族が同居することを認めれば、家族の住居費も軽減されるのではないでしょうか。

また、家族が職員として働けば、介護の技術を身につけることができますし、国家資格である「介護福祉士」の取得のための実務経験も得られるので、後々も自身の生計を立てるのに役立つ可能性が大きいと思います。

これは、あまり生活保護に頼らずに済む、一挙両得の策ではないでしょうか。また、法律や介護保険制度等を変更することなく、老人ホームの運営者側の志一つで行うことができるものでもあります。

しかし、民間のホームは営利を目的としているので、何もメリットがなければ、なかなかこうしたものを受け入れてはくれません。老人ホームでは入居者3名に付き介護職が1名以上と決められていますので、職員が余剰気味になる心配もあります。そこは、国や地方自治体が金銭的な補助をしたり、そうした老人ホームの建設を優遇したりすることで、乗り越えていくべきではないかと思います。

今後ますます少子高齢化が進み、要介護者が増える一方、介護する側の人材の確保は難しくなると予測されています。介護される側も、する側も、幸せになれるように、この事件の判決を単なる美談とせず、具体的な方策をみんなで考えて、実行していかなくてはならない時期に来ているのではないでしょうか。

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【産経新聞】認知症の母殺害に猶予判決 京都地裁
http://www.sankei.co.jp/news/060721/sha062.htm


≪「介護の苦しみ」理解示す≫

 介護疲れと生活の困窮から今年2月、合意の上で認知症の母親=当時(86)=を殺害したとして、承諾殺人などの罪に問われた長男の無職、片桐康晴被告(54)=京都市伏見区=に対する判決公判が21日、京都地裁で開かれた。東尾龍一裁判官は「結果は重大だが、被害者(母親)は決して恨みを抱いておらず、被告が幸せな人生を歩んでいけることを望んでいると推察される」として懲役2年6月、執行猶予3年(求刑・懲役3年)を言い渡した。

 判決によると、片桐被告は今年1月末、介護のために生活が困窮し心中を決意。2月1日早朝、伏見区桂川河川敷で、合意を得た上で母親の首を絞めて殺害し、自分の首をナイフで切りつけ自殺を図った。

 論告や供述によると、片桐被告の母親は父親の死後の平成7年8月ごろに認知症の症状が出始め、昨年4月ごろに症状が悪化。夜に起き出す昼夜逆転の生活が始まった。

 同被告は休職し、介護と両立できる職を探したが見つからず、同年9月に退職。その後、失業保険で生活している際に、伏見区内の福祉事務所に生活保護について相談したが受給できないと誤解し、生活苦に追い込まれて心中を決意した。

 殺害場所となった桂川河川敷では、家に帰りたがる母親に「ここで終わりやで」と心中をほのめかし、「おまえと一緒やで」と答えた母親の首を絞め、自らもナイフで首を切り自殺を図った。前日の1月31日には、母親を車いすに乗せ、京都市街の思い出の地を歩く“最後の親孝行”をしたという。

 判決理由で東尾裁判官は「相手方の承諾があろうとも、尊い命を奪う行為は強い非難を免れない」としながらも、「昼夜被害者を介護していた被告人の苦しみ、悩み、絶望感は言葉では言い尽くせない」と、追いつめられた片桐被告の心理状態に理解を示した。

 また、判決文を読み終えたあと、片桐被告に「朝と夕、母を思いだし、自分をあやめず、母のためにも幸せに生きてください」と語りかけた。同被告は声を震わせながら「ありがとうございます」と頭を下げた。



≪【視点】介護支える社会整備を≫

 認知症の母親を殺害した片桐康晴被告に、京都地裁は執行猶予付きの“温情判決”を下した。裁判をめぐっては、検察側も「哀切きわまる母への思い。同情の余地がある」と、最高刑懲役7年に対して求刑は懲役3年と、被告の情状面に理解を示していた。

 公判では、冒頭陳述や被告人質問で母子の強いきずなが浮かび上がり、聞き入る東尾龍一裁判官が目を赤くする場面すらあった。

 「生まれ変わっても、また母の子に生まれたい」と母親への強い愛情を吐露した片桐被告。公判では、介護のために仕事をやめざるを得なかった現実や、生活保護受給を相談した際に行政側の十分な説明がなく生じた誤解など、誰もがいつ陥ってもおかしくない介護をめぐる現実が浮き彫りになった。「人に迷惑をかけずに生きようと思った」という片桐被告の信条さえも“裏目”に出た。

 介護をめぐり経済的、精神的に追いつめられ殺人や心中に至る事件は後を絶たない。160万~170万人ともいわれる認知症患者は、約10年後には250万人にまで増加するとの推計もある。反対に少子化のため介護者の減少は必至で、介護をめぐる問題は極めて現代的な課題といえる。

 “母親思いの息子”が殺害を選んだ悲劇を繰り返さないために、法整備を含め、社会全体で介護を支える仕組みづくりが求められる。(京都総局 藤谷茂樹)



【用語解説】承諾殺人

 加害者が被害者の承諾や同意を受けて殺人に至った場合に適用。殺人罪の量刑が死刑から3年以上までの懲役であるのに対し、承諾殺人罪は6月以上7年以下の懲役または禁固刑となっている。心中を図り、心中実行者が生き残ったケースに適用されることが多い。

【2006/07/21 大阪夕刊から】★