彼岸花の歌

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「やっぱり世の中には、いい人もいるんだなあ」と最近ふと思うことが。これまでいろいろとお世話になった方もたくさんおられますが、そういう方々との出会いではなく、私の職場である老人ホームの入居者の方々と接しての感想です。

同じ「高齢者」という括りの中にいても、入居されている方の性格はいろいろです。その性格は、認知症を帯びてくると、その人本来のもの、生来のものに近づいていくのではないか。認知症になると、例えば生来暴力的な人は、その暴力的なものがより現れてくるとか。まあこれは私の仮説なので、実際はそうではないのかもしれませんが。

入居中のある認知症の方は、いつも「ごめんね、ごめんね、ありがとうね」と、感謝の言葉ばかり述べておられます。別の方は、いつも他人のことばかり気にかけている。こういう方達を見ると、大きな優しさを生まれながらに持っている人がいるのではないかと思うのです。

でも、そういう方の中には、身寄りもすべて亡くし、面会に来る人もほとんどいない方もおられます。「良いことをすればきっといつかは報われる」と言う人もいるけれど、家族も失い、何も報われぬまま、いずれ息を引き取る。そういう運命にある人がいるわけです。

最近、田んぼのあぜや川の土手に彼岸花をちらほらと見かけます。死人花、地獄花、幽霊花などの異名を持ち、日本では不吉だと忌み嫌われることもある彼岸花花言葉は「悲しい思い出」だそうです。「悲しい思い出」を背負いながら「彼岸(死)」に近づきつつある方々を、私はどうしても彼岸花に重ねてしまうのです。



★彼岸花の歌(クリックすると音楽が流れます)

愛する人は みんな とうに亡くした
独りの時をずっと過ごしてここに行き着いた

何もかも ただ 受け入れて
「自分のせい」と 笑って言った

悲しみを知りすぎた 笑顔で


あなたは 時々 語ってくれた
幸せの日々 そして それを失(な)くした時

ありふれたことに 感謝して
他人(ひと)のことばかり 気にかけていた

自由さえ失った 身体(からだ)で


何もかも ただ 受け入れて
報われぬまま 瞳を閉じた

悲しみを知りすぎた 笑顔で

悲しみを知りすぎた 笑顔で