校長も自殺・・・「命の大切さ」より「生き様の大切さ」を子どもにも大人にも教えよ

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残った裏金約4億6600万円の処分に困って、そのうちの500万円を焼却?したり、約8億7000万円の返還を求められている岐阜県の裏金問題を調査していた岐阜県庁の総務部長が、自殺しました。

【読売新聞】調査担当の岐阜県総務部長自殺、懲戒処分受け異動内示

 12日午後9時40分ごろ、岐阜市薮田南の岐阜県庁5階総務部長室内で、河野定(さだむ)総務部長(58)が、首をつって死んでいるのを職員が見つけ、119番通報した。

 室内から家族と部下にあてた遺書が見つかり、県警岐阜南署は自殺とみて調べている。


 同署によると、死亡推定時刻は午後6時ごろとみられる。河野部長はこの日午前10時ごろ登庁し、部長室で事務整理をしているのが目撃されていた。

 河野部長は、7月に発覚した県庁の裏金問題で、県の調査チームの副リーダーを務めていたが、実質的な調査からは外れ、通常の業務や再発防止策の策定作業にあたってきた。

 かつての直属の上司や同僚が裏金の集約に関与したことがわかっており、「組織責任」を問われ、減給(6か月、10分の1)の懲戒処分を受けていた。自身について、これまでの読売新聞の取材に、「裏金の集約などには一切かかわっていない」と否定してきた。11月13日13時44分更新★



子どもの自殺は絶対に止めなければいけないと思いますが、大人の自殺については皆さんどう思われるでしょう。

凶悪犯に限らず、政治家や官僚や会社経営者に向かって「責任をとって腹を切れ!」なんて言う人もいますし、武士の切腹や、明治天皇崩御に殉じた乃木希典夫妻、神風特攻隊を発案し戦後切腹した大西滝治郎中将、自殺して下りた保険金で従業員や取引先に迷惑をかけないようにした中小企業の社長の例など、自殺を時に美談と捉える風潮もあります。

死以外に償う術のないこともあるでしょう。人の命を奪ってしまったら、いくら金銭で償っても、命が戻ってくるわけではありません。重大な罪に対しては、責任をとって自殺する、というのは、その人の人間としての名誉を守るための最後の手段なのかもしれません。

ただ、この岐阜県の総務部長さんの例はどうでしょう。まだ裏金の調査は完了していません。もしかすると遺書には裏金の全容が暴かれ、保険金を岐阜県民への償いに充ててほしいなどと書いているかもしれませんが、ちゃんと調査を完遂して結果を公表し説明をする、それが本当の責任の取り方だったのではないでしょうか。

伊吹文部科学大臣も、未履修問題で自殺した校長について「事態を解決することで責任を果たしてほしい。自殺は解決にならない」と言っていました。そのとおりだと思います。

【産経新聞】相次ぐ校長自殺で衝撃広がる 「敵前逃亡」と批判も

 必修科目の未履修やいじめが発覚した学校で、3人の校長が相次いで自ら命を絶った。責任の重さを痛感し、重圧に耐えきれず死を選んだものとみられる。いじめ自殺の連鎖を食い止めようと、教育現場では「命を大切に」「1人で悩まないで」「たくましく生きよう」…と懸命に呼びかけてきた。それだけに、校長の死が児童・生徒に与えた衝撃は大きい。

 「ひとつしかない命は校長先生も同じ。子供たちに命の大切さを語る校長先生は、大きな責任も負っている。事態を解決することで責任を果たしてほしい。自殺は解決にならない」

 伊吹文明文部科学相は13日、東京都内の講演で教育現場トップの相次ぐ自殺に触れ、こう語った。

 10月30日、茨城県立佐竹高校の校長(58)が自宅近くで自ら命を絶った。必修科目の未履修問題に責任を感じていたとみられ、残された遺書には「生徒に瑕疵(かし)はありません」と書かれていた。

 今月6日には愛媛県新居浜西高の校長(60)が、県教委あてに「生徒には責任はありません」などと書いた遺書を残して自殺。さらに12日には、児童間のたかり行為が発覚した北九州市八幡東区の市立小学校の校長(56)が命を絶った。たかり行為をいじめと認識しながら、市教委に「金銭トラブル」と報告したことに対して、会見で「私の怠慢。誠に申し訳ない」と謝罪した翌日だった。

 相次ぐ校長の自殺は異常事態ともいえるが、メンタルヘルスに詳しい常楽診療所(東京都足立区)の日向野春総(ひがの・はるふさ)所長は「校長は組織上頂点にいるが、実態は中間管理職。生徒や保護者、そして教育委員会の板挟みで、頭を痛めている校長は多い」という。

 ただ、いじめに悩む児童・生徒の自殺に歯止めがかからない現状のなか、教育関係者の間では「先頭に立って難題と向き合うべき校長の自殺は、やはり許されるものではない」という声が支配的だ。

 三好祐司全日本教職員連盟委員長は「死者にむち打つつもりはない」としたうえで、「難破した船内で船長自らが逃げ出すようなもの。卒業に赤信号がともった生徒からすれば、敵前逃亡に等しい。生徒第一に考え、教育者として範を示してほしかった」と厳しい。

 未履修問題と校長の自殺という二重のショックを受けた佐竹高校では、生徒をケアするため専用の電話相談窓口設置した。北九州の市立小学校は14日午前、全児童に心の健康調査アンケートを実施。結果をもとに、担任教諭が1人ずつ面談を行っていくという。

 校長の死が児童・生徒の心に残した傷は深い。【2006/11/15 東京朝刊から】★



記事中では、いじめ自殺の連鎖を食い止めようと、教育現場では「命を大切に」等と呼びかけてきた、と。伊吹文科相も「ひとつしかない命は校長先生も同じ。子供たちに命の大切さを語る校長先生は、大きな責任も負っている」と語っていますが、私はこれには違和感を覚えます。

「命の大切さ」を訴えるのは確かに大事だと思いますが、それより今必要なのは、「生き様の大切さ」を子どもに教えることではないかと考えます。「命は大切だ。いじめられた子が自殺するかもしれないから、いじめをやめよう」と言っても、「この程度のいじめで自殺するわけがないだろう」と反発されるかもしれませんし、どうも説得力が弱いような気がします。

命も生き様も、自分がいじめたことが原因で自殺した子の棺の前で笑っているような人間にはどちらも理解できないかもしれませんが、「命の大切さ」という当たり前の大前提を教えて思考停止になるよりも、「生き様の大切さ」を常に考えよと諭して、日々、事に当たるに際して、子どもに自問自答させるべきではないかと思います。

例えば「何の罪もない級友をいじめている自分自身は、格好いいのか悪いのか」「いじめを見て見ぬふりをしている自分は、人間として正しいのか正しくないのか」と。メールなどを使った陰湿ないじめは、犯人が特定できませんし、それをやめさせるには、その犯人の良心に働きかけるくらいしか、警察以外にはできないのではないでしょうか。

偉人伝で生き様を学ぶというのもよいと思いますし、少年漫画を題材にしてもよいと思います。ジャンプやサンデーやマガジンやチャンピオンといった少年漫画雑誌に載っているマンガのほとんどは、今でも、勧善懲悪のストーリーで、その中では仲間を守り、弱い者・困っている者を助けています(ギャグマンガを除く)。

「生き様」については、大人にも自問自答してほしいところです。まあ、大人の場合、いろいろな事情があって、子どものように単純には行かないと思いますが・・・