大阪・淀川市民マラソン大会の思い出

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今日、高橋尚子東京国際女子マラソンで優勝。右脚3ヶ所に肉離れを起こしていたが、2時間24分39秒で走り抜けた。「一時は陸上をやめることも考えた」そうですが、復活を果たしたこと、本当にすごいと思います。

私も以前一度フルマラソンを走ったことがあります。きっかけは、高校時代の友人でマラソンが趣味のK君が、ネットで「大阪・淀川市民マラソンに出ないか」と書いたこと。これに対し、同じ高校の友人でいつも私の選挙を手伝ってくれる「選対本部長」が、「北岡が走るなら俺も走る」と返答。そう言われたら、我々の仲間内のノリでは「YES」と答えるのが暗黙の了解(笑)。なので、「じゃあ走ります」と応じました。「選対本部長」は「マジか?お前マラソンをなめてるやろ」と驚いていましたが、こうなることは半分分かっていたはずです(笑)。

私は短距離とか、瞬発的に力を出すのは得意なのですが、長距離走は苦手。しかし、大阪・淀川市民マラソンは制限時間が8時間なので、何とか走りきれるだろうと。一生に一度くらいフルマラソンを走ってみたいとも思いましたし。

しかもK君からは「お前は選挙でいつも友人を散々走り回らせてるんやから、今回はお前が走れ」と言われ、確かにそのとおりなので、いわば「禊(みそぎ)マラソン」のつもりで走ろうと考えました。

K君からは「本番前にできるだけ走る練習をするように」との指令があったので、ジャージを着て夜中に何度か走りました。しかし、長年の運動不足がたたってか、15分ほどしか連続で走れません。それでも徐々に時間が延び、30分くらいは連続で走れるようになりました。

マラソン前日、K君からまた指令。「乳首に絆創膏を貼って来い」・・・えっ?なんでや?と訊くと、「長時間走っていると、乳首が服で擦れて出血することがあるから」とのこと。そして「できる限りウンコを出しておけ。何故なら走っていると便意をもよおす」と。(確かに走った後はやたらと便通がよくなります)

当日、枚方大橋近くの河川敷に集合。予想以上の人の多さに驚きました。マラソンなんて、そんなに競技人口がいないだろうと思っていたのですが、フルマラソンの男子だけで2000人くらいいましたから、女子やハーフを走る人を入れたら、その数倍の人がいたことになります。

K君の友人で、日曜の教会を休んで走りに来ていた牧師さんと共に4人輪になり、手を組んで神に道中の無事を祈った後(私はキリスト教徒ではないのですが。でもお陰で敬虔な気持ちになれました)、よーいドン。15分くらいはK君のペースについていけたのですが、その後はペースダウン。途中途中で歩きながらゴールを目指しました。

ちなみに「選対本部長」は端から完走をあきらめているようで、スタート直後からまったく姿が見えませんでした。

不思議なのはものすごく気分が高揚すること。多くの人が一斉に走るので、それにつられて「自分も走らなければ」というような連帯感・使命感みたいなものが自然に芽生えてくるのかもしれません。ある種、祭のときのような感覚です。疲れたら歩けばいい、最悪回収バスに乗ればいい、と最初は思っていたのですが、そんな気持ちは薄らぎ、「とにかく走らなければ」という気持ちになっていきました。

そうして走っているうちに中間地点。タイムは2時間28分でした。「これなら5時間が切れるかも。制限時間が5時間の福知山マラソンにも出れるのでは」と思いましたが、30kmくらいで、まるで星飛雄馬が最後の大リーグボール3号を投げた後の左腕のように、もう完全に脚がいかれてしまいました。心の中では「走らなければ」と思い、何度も走ろうと試みたのですが、その度に脚に激痛が走り、歩くのがやっとでした。

周辺にいた他の参加者も同じようで、私の前後には歩く人々の長蛇の列が形成されていました。沿道にいた人達は、皆走っていないので、マラソンとは分からなかったかもしれません(笑)。

1kmが、スタート直後の10kmにも感じるくらいもどかしく苦しく辛い状態でしたが、何とかゴールに近づいてきました。私の前には右足を引きずりながら懸命に歩く男性。その男性の元へ「パパ~!」と叫びながら走り寄る3歳くらいの女の子。私の娘も同じくらいの年頃だったので、とても感動的だったのですが、そのときビックリすることが起きました。あと50mでゴールというところで、背後から走ってきた幼稚園児の男の子が、我々を追い抜いていったのです。

幼稚園児が参加していることは知っていましたが、まさか追いつかれるとは・・・「さすがに幼稚園児には負けられん」と思い、追いかけようとしたのですが、体が言うことをきかずとても走れません。結局、幼稚園児に先を越されてしまいました。

この幼稚園児達は、次のニュースに書かれてあるとおり、毎日5kmを走って鍛錬を積んでいたとのこと。

スーパー園児、11人がフルマラソン完走

42.195キロのフルマラソンを完走するスーパー幼稚園児がいる。大阪府四條畷(しじょうなわて)市の私立星子(せいし)幼稚園の5~6歳児。今月上旬、同府枚方市の淀川河川敷であった市民マラソン大会に13人が参加し、うち11人が制限時間の8時間以内にゴールした。幼稚園児がフルマラソンを走りきるのは「ちょっと聞いたことがない」(日本陸上競技連盟)という。

「がんばれ」「あとちょっと」。6日、雨が降りしきる淀川河川敷。親たちの声援を受け、体操服姿の園児たちが駆け出した。

5キロごとに設けた独自の給水ポイントで、飲み物やバナナなどを口にしながら5~10分休憩。鉄村和夫園長(68)らと一緒に休み休み、7時間前後で走りきった。

「風が気持ちよかった。ゴールできたときはすごくうれしかった。また走りたい」。6時間50分台で完走した誉田海人(こんだ・かいと)ちゃん(6)は満足げに話した。

星子幼稚園の大会への参加は今年で5回目。初回の01年は12人の園児がハーフマラソンに挑み、02年からフルマラソンに挑戦した。02年7人、03年10人、04年4人が制限時間内に完走し、今回は一気に倍増した。

快挙の裏には日頃の鍛錬がある。

園の一日は1周約350メートルの園庭ランニングで始まる。年少は途中で歩いたり、遊具で遊んだり。年中は約4キロ、年長は約5キロ、それぞれのペースで走る。真冬を除き、みんな裸足だ。(後略)

そんなこともありましたが、何はともあれ、一応フルマラソンを完走しました。タイムは6時間55分。いかに高橋尚子らマラソン選手がすごいか、身に染みて分かりました。ちなみにK君は4時間台。さすがです。

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選対本部長はどうせ完走をあきらめて回収バスに乗り、一足先に帰ってきているだろうと思ったのですが、K君に訊いても見当たらないとのこと。(ちなみに途中棄権した人を乗せた回収バスが時々通っていましたが、中高年よりも若い男性が多かったです。)

ということは、まだ選対本部長は走っているに違いないということで、ゴール前でK君と待っていたのですが(グロッキー状態だったので、K君にいろいろとお世話をしてもらいながらですが)、7時間45分ごろ、選対本部長が足から血を流しながらゴールに向かってやってきました。

この選対本部長は、高校の体育の授業で、学校の外周を5周する長距離走のとき、1周目の途中でサボり、先頭を走っている陸上部の足の速い奴が5周目を走り終える直前に飛び出してきて、「やったー、5周走ったー」と一番にゴールし、温厚で優しく、生徒を怒ったことなどほとんどなかった今は亡き伏見先生をして「お前は失格だー!」と大激怒させたことがあったのですが、そんな「選対本部長」が血まみれの靴で足を引きずりながら必死にゴールへ向かっている。

ゴールした選対本部長いわく「お前らはどうせ完走してるやろうし、俺も完走すると約束した以上、完走せんかったら格好悪いやないか」と。選対本部長は何の練習もせず、ぶっつけ本番でフルマラソンに臨んだのですが、約束を果たすために走りきった姿を見て、自分が完走したことよりも感動しました。

「それとな、あの幼稚園児、本当にすごいで。俺は見たんやけど、途中で虫を追いかけたり、花を摘んだりしながら走って完走したんやからな」と選対本部長は教えてくれました。いや本当にすごい園児達です。

K君は「お前ら幼稚園児に負けたままでええんか。リベンジのためにもまた走ろうぜ」と挑発するのですが・・・このフルマラソンで右ひざを痛めたし、昨年は追突事故でムチ打ちになって首の状態が怖いし、フルマラソンを走るのは一生に一度きりと決めてたし・・・

このブログを見たどなたか(マラソン経験者除く)が「俺(あるいは私)も走る」とおっしゃるなら、来年の大阪・淀川市民マラソン大会に出てもいいですが(笑)。