紳助・竜介と「格差社会」

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漫才コンビ「紳助・竜介」を生で見たことがある。私が小学校の低学年の頃、高槻市国鉄摂津富田駅前(今のJR摂津富田駅前)にダイエーができた。そのオープンしたばかりのダイエー摂津富田店で開かれたベーゴマ大会のイベントの司会に、紳助・竜介が来たのだった。私は一回戦で負けたが、何故か弟が優勝。弟が私に抱きついたとき、紳助が「感激のあまり、兄弟で抱き合っております!」と言ったのを今でも覚えている。(少し前にベイブレードというのが流行ったが、当時もテレビで「♪ベ~ゴマ~ 何故回る ベ~ゴマ~の勝手でしょ~」というCMが流れ、ちょっとしたベーゴマブームだった)

そういう駆け出しの頃を経て、漫才ブーム紳助・竜介は一世を風靡し、超人気番組「オレたちひょうきん族」にもレギュラー出演した。しかし紳助・竜介結成から8年後の昭和60年、「このままでは太平サブロー・シローダウンタウンには勝てない」と、漫才を辞めコンビを解消した。

その後二人の明暗は分かれた。紳助は芸能界で成功。多くの不動産を所有し、映画も作り、すし屋や喫茶店のオーナーにもなった。片や竜助さん(コンビ解消後「竜介」から改名)は落ちぶれた。

サンスポ「松本竜助さん死去…紳助との漫才復活の約束果たせず」
http://www.sanspo.com/geino/top/gt200604/gt2006040201.html

(前略)平成9年に吉本を離れて事業に専念したが、失敗。翌10年、負債約1億3000万円を抱えて自己破産したことで、芸能界復帰を模索。新聞詠み河内音頭家元の河内家菊水丸(43)に弟子入りしたり、最近は、Vシネマなどに出演していた。また、風俗案内所の他、飲食店でも働くなど懸命に仕事をこなしていたが、その一方で不規則な生活を余儀なくされた。(後略)★



そして昨日4月1日、高血圧による脳溢血(のういっけつ)のため、49歳の若さでお亡くなりになった・・・

二人に格差ができたことは、間違いない。この格差を「悪い」と考えるか否か。「勝ち組負け組といった極端な格差社会を早急に是正しなければならない」と主張する人々がいるが、「負け組」の竜助さんに、政府が何か政策・制度をもって、助けなければならなかったか?

格差が起きないように、そのままコンビで漫才を続けるべきだったか?コンビ解消のきっかけになったダウンタウンさえ漫才なんてやっていない。太平サブロー・シローは、サブローをピンでしかテレビで見ない。紳竜が無理に漫才コンビを続けていても、共倒れだっただろう。

離れた二人に何故その後、芸能界で格差がついたか。紳介は、オモロイ。それに比べて竜介はあんまりオモロなかった。ただそれだけだろう。

その後、竜助さんもいろいろとチャレンジをした。何度も失敗したが、再チャレンジも何度もできた。

島田紳助がかつて司会を務めていたサンデープロジェクトに今日出演していた安倍官房長官が、「1回うまくいかなくても、もう1回チャレンジができる社会をつくることが大切」と主張。しかし私は、立場や負け方にもよると思うが、日本社会はそんなに気を遣っていただかなくても、再チャレンジできる社会ではないかと思う。

どんな産業でも競争がある。どんな会社に入っても、社内である種の競争がある。良い商品・サービスを行う会社が売上を伸ばし、よく働く人・能力のある人が、大抵給料を良くしていく。不景気で全体が落ち込んだり、景気の回復過程で企業間や企業と労働者の間で差が出たりすることはあるだろうが。

競争がなければ社会は発展しない。競争の結果、多少の格差ができるのは仕方がない。悪いのは、結果的に格差ができることではなく、公正な競争のできない社会だ。談合・カルテルなどの不正、不当に安い賃金・勤労に対する不当な評価、社会保障や年金の格差、家庭環境による教育機会の格差は是正しなければならないと思う。

再チャレンジできるか否かは、その人個人が誠実に、信頼関係を損なわないように生きてきたかどうかのほうが、政府の用意する制度よりも重要だと考える。失敗しても、誠実な人に対しては誰しも応援したいと思うものだ。

竜助さんは、紳助の成功を、自分の事のように喜んでいた。

竜助さん波乱の49年、自己破産も
http://www.nikkansports.com/entertainment/p-et-tp0-20060402-14161.html

(前略)紳助は「おれの悪口言ってんの聞いたことない。いっつも『おれが紳助の一番最初のファンや』『紳助は天才や。売れると思ってた』言うて、自分のことのように自慢してた」と話す。

 破産後は風俗リポーターやビデオ映画などに出演し再起を図ったが、紳助から生活の様子を聞かれると「大丈夫や」と言い張ったという。紳助が女性社員への暴行事件で謹慎した時には何度も紳助の自宅を訪ね「お前はおれとは違う天才やから大丈夫や」と励ましていた。(後略)★



朝日新聞「『めっちゃすごい相方』竜助さん死去、紳助さんら会見」
http://www.asahi.com/culture/update/0401/011.html

(前略)相方だった島田紳助さんは、東京のテレビ局で「50歳になったら1回だけ、漫才を一緒にしようと言っていた。つなぎの衣装も用意していたのに、(竜助さんの誕生日の6日)直前で逝ってしまった。ネタ合わせして、ぼくに怒られたくないから、寝たふりしていると思いたかった。コンビを別れても僕のことを我がことのようにほめてくれ、つらい時は懸命に励ましてくれた。めっちゃ下手だけど、めっちゃめっちゃすごい相方でした」と語った。(後略)★



こういう竜助さんで、それをこんなふうに語れる紳助だからこそ、破産したり事件を起こしたりしても、再チャレンジできたのだろう。

竜助さん、安らかに・・・