彼は死なないだろうが・・・いじめについて



「いじめについて何も変わらなかったら、11月11日に自殺する」という「いじめが原因の自殺証明書」などを文部科学省に送付した少年がいるが、私は、彼は自殺しないだろうと考えている。

【日テレnews24】“いじめ自殺予告” 伊吹文科相が呼びかけ

 文科省は7日、「いじめについて何もわからなかったら、11月11日に自殺する」などと書かれた手紙が届いたことを明らかにした。しかし、いじめの具体的なことや本人については一切書かれていない。伊吹文科相は7日、自殺を思いとどまるよう呼びかけた。

 伊吹文科相は7日、「思い当たる人たちは、それなりの対応を取っていただければ、命が救われる可能性がある」と述べ、教育委員会などに対し、いじめに関する相談があれば適切に対応するよう求めた。また、手紙の差出人に対しては「命は一つしかない。正確な気持ちを必ず誰かに伝えてください」と、自殺を思いとどまるよう呼びかけた。

 文科省では封筒の消印の一部が「豊」と読めると分析していたが、さらに専門家による分析を行い、「豊島」である可能性が高まった。このため、豊島区のある東京都教育委員会に対し、いじめに関する相談がないか、重点的に調査することを求めることにしている。★



彼がこの手紙を送りつけたのは、生きたいから、という理由もあるかもしれないが、私はこの彼の行為は、彼のいじめに対する「戦いの一つの手段」だと思う。いじめを告発する手紙を書き、その送付を実行するということは、いじめと戦う意志があるという証ではないだろうか。

その「手段」によって、文部科学大臣が、教育委員会が、そしてマスコミが動いて、彼にとっては、少しかもしれないが、希望の光が見えたのだから、自殺という彼にとっての戦いの最終手段はとらないだろうと思う。もし彼の手紙で何も起こらなかったならば、彼は死んでいたかもしれないが。

私が彼なら、この次にとる手段は、何らかの方法で、自分の素性を世間に明かすことだ。そうするとどうなるか。彼に対するいじめの実態が明らかになり、彼をいじめていた人間は、停学か坊主か分からないが、一応は罰せられるだろう。その後にいじめっ子から陰湿な報復があるかどうかは分からないが、とりあえずいじめっ子・加害者に罰を下すことはできる。

いじめが原因で多くの子ども達が自殺した。その心の内は様々だっただろうと思う。「自分が自殺すればいじめっ子や見てみぬふりをした教師は困るだろう」というふうに戦いの最終手段とする考え方。あるいは「とにかくこの生き地獄から逃れたい」という逃避的な考え方。あるいはうつ病のような精神病的なものなど。

自殺を「いじめに対する戦いの最終手段」と考える子ども達に対してはどうすればいいかと言えば、「自殺はいじめに対する完全な敗北」だと思わせるような報道をすることだ。自殺を、いじめに対する戦いのための有効な手段だと思わせてはいけない。ズボンをずらして喜ぶ残虐な奴は、自殺して死んだらもっと大喜びする、と。自殺した女子生徒の棺の前で、薄ら笑いを浮かべていた加害者ことも雑誌に書かれていた。そうした加害者が、心から反省するものかと、ほとんど何の罰も受けないのだと、マスコミにはそういう報道をもっとしてほしい。


<追記>

予想はできましたが、自殺予告の手紙も模倣がされました。

【産経新聞】自殺予告の手紙、新たに5通 文科相あて

 文部科学省は10日、いじめを苦にした自殺を予告する手紙が新たに5通寄せられたことを明らかにした。

 同省によると、5通はいずれも伊吹文明文科相などにあてられ、うち3通の消印は「(兵庫県)尼崎北」「(東京都)町田」「(東京都)成城」で、学校名や具体的な実態を記す記述はなく、関連する教育委員会に連絡、対応を指示した。

 残る2通のうち、1通はいじめを訴え自殺を図る意志が綴られていた。学校など特定可能な内容であることから公表を控え、確認を急いでいる。もう1通は私生活上の悩みを打ち明け、自殺を示唆する内容で、学校がわかり、学校に対応を指示した。

 伊吹文科相は、同日の国会答弁で「命を守るために、本当に困っている人は学校や両親でも私でも構わない。相談して欲しい。しかし、そうした人たちを混乱させたり、相談の機会を奪うような手紙は慎んでもらいたい」と話した。★



文部科学省の今後の対応としては、匿名のものについては、対処しようにも対処できないということを表明し、実名のものがあれば、対策室を設けるなどして早急かつ徹底的に実態を調査し、加害者がいればそれを罰すべきでしょう。いじめの実態を把握するためには、教室に監視カメラを設置したり、被害者に隠しマイクを持たせるのもやむなしではないでしょうか。

被害者が自殺しても、加害者は形ばかり謝るのみであり、責任を問うても「いじめと自殺に因果関係はない」「自殺するほどのことはしていない。自殺するほうがおかしい」などと言い逃れするだけ。さほど罰も受けなければ、自分を責めて自殺する加害者なんて、誰一人としていないのが現状。よって自殺は、いじめとの戦いにおいては敗北であり、家族が悲しむだけの結果に終わる。自殺するよりも、いじめの実態を世間に告発して、合法的に加害者が処罰されるように、被害者はあがくべきだ。それでやっと加害者は、いじめによって自分が失うものの大きさを初めて実感する、というメッセージを、マスコミなどは発すべきだと思います。

「明けない夜はない」「やまない雨はない」というような慰めの言葉があるけれども、いじめに関しては、学校を卒業すれば、いじめからも卒業できる。自殺などせず、とにかく卒業まで耐えれば、つらい思いは終わるのだということを、周りの大人は教えてあげてほしい。

マイライフ・アズ・ア・ドッグ」という映画で、主人公の少年は「人工衛星で死んだライカ犬より僕はまだ幸せだ」と自分を慰めますが、世界中で飢えや貧困に苦しむ人達、内戦で手足を失った人達、エイズに苦しむ人達、チベットで迫害を受けている人達、北朝鮮に拉致された人達などに比べれば、学校でいじめられていることなど、まだまだ楽なほうだ。自分ひとりが苦しんでいると思い込んでいる子どもには、世界中でもっと苦しんでいる人達がいる現状を知るように、テレビなどは特番を組んでほしい。

「自殺で加害者に復讐を」と考えているかもしれないけれど、「自分が大人になったら、世の中を良くする」「自分がもっと力をつけて、自分と同じようにいじめられている子ども達を助ける」そういう復讐の仕方もあると思います。

いじめ問題にかかわった教師・警察・司法関係者は、加害者の悪をしっかりと戒めて、懲らしめてほしい。そういう勧善懲悪を目に見える形で徹底するのが、いじめの一番の再発防止策ではないでしょうか。


私も中学生の時に、いじめられていた友人をかばったことがきっかけで、約3年間、ずっといじめられ続けました。

中学1年生のある日、級友が暴力をふるわれているのを見るに見かねて割って入ったところ、「お前、ハリキリやがって」と、暴力の矛先がこちらに向かってきたのです。しかし、私はその当時は他の級友と比較して体力があったので、そいつを床にねじ伏せることができました。

そいつは、もう一人を誘って二人がかりで向かってきたのですが、それでも私が勝つ結果になりました。勝つといっても、別に殴ったり蹴ったりするわけではなく、床にねじ伏せるだけです。どうも私は他人を拳骨で殴ったりはできない人間なのだな、とその時感じました。

休み時間ごとに、そいつらは私にけんかを吹っかけてきたのですが、私の全戦全勝。私がそいつを床にねじ伏せながら、そいつの仲間に睨みを利かせると、たじろぐほどに圧勝でした。それで暴力のほうは諦めたのか、それからは、そいつと仲間によって、言葉による嫌がらせを受けました。そいつは天才的に口が上手くて、とにかく何かする度に揚げ足をとる。授業中に手を挙げただけで「こいつ、ハリキリや」とからかわれる。容姿のことを馬鹿にされる。弁当にサンドイッチを持ってきただけで「お前の家には米はないのか」とか(笑)。好きな人の一挙一投足というのは非常に気になりますが(笑)、こいつらは私の一挙一投足に異常なほど注目して、ただひたすら難癖をつけ、悪口を言いふらしました。暴力に訴えてきたのなら止めようもありますが、悪口を防ぐ有効な手立てはありません。しかもこちらが反論すればするほど、相手はむきになってますます輪をかけてはやし立てる。けんかはこちらからは絶対に仕掛けなかったので、口ではやられっぱなしでした。

まあ、2年になればそいつともクラスが別々になると思っていたのですが、運悪く、9分の1の確率でまたそいつと同じクラスに。中学2年くらいになってくると、段々と不良っぽいのが出てくる。そういう奴らはたいてい成績が悪い。で、そいつはそういう不良の劣等感に付け入って、成績の良かった私にけんかを仕向けるようなことを言い出しました。「あいつは成績の悪い俺達のことを馬鹿にしている」といった類の嘘を言いふらす。ある時、音楽のテストで80点をとった答案用紙を、私が先生から受け取って席に帰るときに「ちっ、80点か・・・」と小さな声でため息をついたのですが、それを聞き逃さず、すかさず「こいつ、80点も取ったのに、悔しがっとる」とはやし立てたり(笑)。

相変わらず、誰かがいじめられているとさりげなく助けたのですが、不良っぽい奴も、1対1では、私に「お前みたいな強い奴がなんで弱い奴の味方をすんねん」と訳の分からない悪態をついても、けんかを仕掛けてくることはありませんでした。しかし、いつしか休み時間になると、20人ほどの不良達が私のいる教室に入ってきて、私を取り囲むようになりました。すると、今まで私と遊んでいた級友達が恐がって私から離れていく。不良から助けてやった奴も(笑)。いくら私に腕力があっても、さすがに20人には勝てません。私は不良に小突き回されながら、じいっと「友達」の一人ひとりの顔を見てやりました。でも、誰も助けに来ない。その時、「このクラスには大した奴はいないな。本当に人間らしい奴はいないな」と、かなり強い人間不信を感じました。それにしても、不良は、1対1では私に目も合わせられないくせに、集団になるとものすごく張り切りますね(笑)。一人じゃ何もできないくせに。さすがに番長格の奴は1人でも強かったですけどね。

集団によってたかってやられ出すと、さすがにやばくなってきたなと思い、父親に相談したところ、「次に殴られたら俺に言え。そしてお前は殴られても絶対に手を出すな」と言われました。そう言われてすぐに、また不良に囲まれて小突かれました。私が攻撃を避けもせず、完全に無抵抗と見ると、調子に乗って竹箒でガンガン殴る奴が現れました。家に帰ってそれを父親に報告すると「今から診断書をとって、警察にいく」と言いました。私の当時の家の近くに宮田診療所という小さな病院があり、そこで診察を受け、鞭打ちなどの診断書を書いてもらい、家に帰って、さあ翌日には警察に被害届を出しに行こう、と話していたところ、私を竹箒で殴った奴とその母親が突然我が家に謝りに来ました。おそらく宮田診療所の先生が学校かどこかに連絡したのでしょう。それで父親は許したのですが、それがなければ、竹箒で殴った奴は、鑑別所か少年院にでもはいっていたかもしれません。その時私は父親のやり方を見て「大人というのはそういうふうに解決できるんだな」と思いました。だから、今いじめで悩んでいる人も、知恵のありそうな大人に相談してみるといいのではないかと思います。

それから表立った暴力はなくなりました。学校の先生も家まで来て私の話を聞いてくれましたし、3年のクラス替えでは配慮してくれたのか、級友達は非常に穏やかな人間ばかりでした。不良も一人いましたが、クラスに一人ではおとなしいものでした。さらに、私のクラスだけ何故か他のクラスとは別の階でした(笑)。だから、私は中学校の先生には、そういった点では非常に感謝しています。

ただ、陰湿な嫌がらせは以後も続きました。2年の時から暴力とともに陰湿ないじめはあったのですが、3年になっても、犯人の分からない嫌がらせがありました。例えば、下駄箱で上履きに履き替えようとすると、上履きに目一杯泥が入れられている。教室に入ると自分の机の上に、誰のか、どの動物のか分からないけれど、ウンコが載っている。机の中にうっかり忘れていた教科書などは落書きされた上にメチャクチャに切り裂かれている。体育の授業中に、教室に侵入した誰かによって弁当を食われている。卑怯もいいところですが、監視カメラでもつけないと、こういうのは誰が犯人か、警察が指紋でも調べない限り、分からないでしょうね。でも、その当時の先生達は、警察の介入や事件が表沙汰になるのをひどく恐れているようでした。

こうやって、約3年間、意地を通して戦い続けたわけですが、卒業した時は、そんな自分を少し誇らしく思いました。反抗期っていうのがありますが、もしかすると、私は、不良達に反抗していたのかもしれません。不良は親や教師に反抗していたわけですが。「行儀良く真面目なんてくそ食らえ」とは思わなくて、むしろその逆でしたけど、「あがいた日々も終わる この支配からの卒業」という尾崎豊の「卒業」には非常に共感しましたし(笑)。

学校でのいじめからは、学校を卒業することで、卒業できるし、その中で、自分なりの正しさを持って戦い抜けば、自分に誇りを持つことができる。何の罪もなく、正しい行いをしている者が、何故自殺しなければならないのか。自殺なんかしなくていい。自分が正しいと思えば、それで生きていける。馬鹿にされても、事実無根のデマを言いふらされても、暴力をふるわれても、別に自分を卑下することはない。そりゃあ情けなくて、辛くて、苦しい時もあるけれど、自分が悪いわけじゃない。いじめる奴らが悪い。いじめから逃れたいために、自分がいじめる側に加わり、加害者になっては絶対にいけない。自分が精神的に負けないためには、むしろ自分が正しい行いを貫くことだ。そうすることが、自分の自信になり、逆境の中でも、生きていける力になると思います。

中学校ではこんなふうで、人間というのは非常に恐ろしいものだと思いましたが、高校や大学では良い友人に恵まれ、幸せに過ごせました。中学校で出会ったような奴らも、みんな成長をして、大人になればいじめなんかしないようになるのかなと思いましたが、社会に出て、どうもそうではないと。大人になっても、恐ろしい人、訳の分からない人は、たくさんいますね(笑)。そんな人が権力や組織力や金の力や情報発信力をもっていて、もっと酷い惨いことをしてくる場合も多々ある。


何にせよ、いじめで悩んでいる人は、一度大人の知恵を頼ったほうがいいと思います。そして自分は間違ったことをしないこと。いじめられてもできるだけ、他人を傷つけないように。でないと、被害者である自分が加害者に見られてしまうかもしれない。いじめている人間は天才的なほど嘘が上手い場合もありますし、証拠や証人を確保しておくことも大事でしょう。

まとまりがないですが、このへんで。

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こんな予告文を書いていた時は、さぞつらいだろう

【PJニュース 11月08日】- 7日付の朝日新聞日経新聞に歴史始まって以来ではないかと思われるような、自殺予告文が載った。

自殺予告文の一部

 今日手紙を書いた理由は、生きていくのがつらいからです。いじめた人達は何もバツをうけませんでした。先生に言ったのに先生は何もしませんでした。両親にも言ったのですが「がまんしろ」しか言いません。なんとか親が学校の校長先生や教務員のかたに連絡してもらったのですがなにもかわりません。なのに親や先生は、「お前の性格がわるい。」や「がまんしろしか言わない。」ので、11月8日の水曜日までに何も変わらなかったら「いじめが原因の自殺証明書」どうりに自殺します。場所は、学校でします。みんな信用できないので文部科学大臣伊吹文明大臣に書きました。僕の名前は11月11日土曜日に自殺のニュースでみんなに知らせてください。お願いします。お願いします。

いじめが原因の自殺証明書

文部科学大臣 伊吹文明
 僕は、いじめが原因で11月11日土曜日に自殺することを証明します。
この手紙をいじめた人達、学校の先生、校長、教育委員、いじめた人達の保護者、僕の両親に自殺をしたら見せてください。あと、マスコミの人々にも全部見せてください。お願いします。

 4日に書かれたと思われる手書きの手紙が、6日の午前中に、文科省に届いた。大臣宛、教育委員会宛、校長先生宛、担任の先生宛、クラスのみんな宛、クラスのみんなの保護者宛、両親宛の計7通の手紙が入っていた。差出人は、特定できない。これが本当の手紙だとして、文科省は、消印の一部に「豊」と言う文字があり、関係すると思われる自治体の教委などに調査をするよう指示した。その後「島」と言う字も確認された。(後略)★